高野山ろくそく祭

写真整理したので、ためしにまとめてみる。
こうやってまとめてみると、自分の写真の撮り方の傾向がよくわかる。そしてどういう写真を撮ったほうが後々楽しいかもよくわかる。
結論としては、俺はろくな写真とってねーわ。駄目だこりゃ。

2011/8/12〜2011/8/18
品川駅発の夜行バスに乗り高野山熊野古道中辺路、伊勢神宮、名古屋を回った旅の記録です。災害にやられた地域の約1ヶ月前の姿でもある。

まずは出発。
そろえた物は40リットルのリュックサックと歩きやすいようにとnikeのランニングシューズ。お賽銭や御朱印帳、旅の栞が取り出すいようにとウエストポーチ、日よけにとおもい結局持っていかなかった釣具屋キャスティングで購入した麦藁帽子のセット

8/12(金) 23:50 品川発〜難波行の夜行バスにて旅立ち、翌朝8:20頃に大阪難波到着

南海難波駅より、特急高野にて高野山を目指すのだが、ご覧のとおり朝2(朝1は09:00発)の電車は満席。乗車1ヶ月前より全国のJTBで予約可能なのでこの私は、7/13に二日酔いで死にそうな体調だったにもかかわらず、ええ、予約しに行ってきましたよ。

そして朝食のゲソ天うどん。関西といえばうどんでしょ!ということで難波駅構内の立ち食いで。まぁ、うどんは普通だけど、つゆはやっぱり関西風だった。うまい!値段は旅の家計簿.xlsを見ればわかるけどめんどいので省略。なんだかんだで1時間ちょい時間をつぶす。いやそれにしても関西風の出汁はほんとに好きだ。蕎麦は関東のが好きなんだけど。

そんでまぁ10時初の特急こうやに乗り込み、途中PL教団の馬鹿でかい宗教施設なんぞを窓越しに見つつ極楽橋に到着。
そこからロープウェーで高野山駅へ行き、さらにそこから高野山バスに乗り継ぎ高野の霊場を目指す。写真はケーブルカーでの帰りの写真。結構傾斜がきつく、これこけて落ちたら死ぬよなぁって感じ。

そんでもって今回お世話になる宿坊「成福院」。チェックインにはまだだいぶ早いのだが、荷物を預かってもらおうと伺ったら深雪にも部屋へと案内してくれた。

奇跡の一枚
「消える飛行機雲、僕達は見送った」鳥の詩より

ここが泊まるお部屋。二間続きの和室にマッサージチェアーのある、あのよく旅館にある窓際の小スペース(あれなんていうの?)ととても広い。そして綺麗!最近改築されたんだろうか?とにかく新しくて綺麗だった。写真は奥の部屋と小スペース

そして手前の部屋と玄関。綺麗でしょ?

天気は良好。荷物を置いて身軽になってから、まずは奥の院へと向かう。

奥の院へと続く参道の入り口、一の橋。ここから約2km。

こんな感じの参道を行く。

周りは、墓、墓、そして地蔵、また墓



時折巨大なきゅうべえのようなオブジェもある。
「僕と解脱して即身成仏してよ」「君の煩悩をなんでも一つ取り除いてあげる」

奥の院近くには社務所。ここで御朱印をいただく。

この橋の向こうが奥の院。残念ながら写真撮影等禁止。

んで奥の院をお参りし、死んだ爺さんの供養など頼みお土産にお線香やお札などいただいて、休憩所で休憩。休憩所にはセルフサービスで温かいお茶をいただける。釜?から柄杓で汲むという一風変わったセルフサービスで、とてもお気に入りの俺はいつも欠かさずよる。写真は前回の高野山の日記を見ていただければと。ちょいと休憩した後は、霊宝館へ。時間もちょいと差し迫っていたのでさくっと見学して宿坊に戻りお風呂をいただく。そして夕食は精進料理。

これがまた旨かった。やっぱり豆類が多いのかな?あとはこんにゃくか。
そしていよいよ今日のメイン、ろうそく祭へと出かける。

時刻は19時前。日も暮れてたそがれ時。いい具合に雰囲気が出てきている。


昼間訪れた一の橋付近。すでに人ごみで大変混雑している。橋の手前で警備員が入場規制をしており、一定の間隔をあけて徐々に参道へと入っていく感じ。ちなみにろうそくは、一の橋入り口でももらえるし、参道の途中でももらえる。基本的に余ります。あと、やはり入り口付近が一番混雑していてろうそくも多い。

そして、参道へ。
昼間とは打って変わって幻想的な光景が広がる。










こういう写真とるの本当に難しい。
奥の院まで行って別のルートで引き返し、奥の院前の駐車場には屋台も並ぶ。
一の橋からここまで、写真取り巻くってろうそく刺しまくってうろうろして2時間もはかかっていないかと。

屋台で翌日の朝食分にとお好み焼きとたこ焼きなんぞを買い、宿坊へ。
お風呂をいただき張り切って筋トレなんぞしつつ本日の出費をまとめ、23時ごろ就寝。
ちなみに宿坊にクーラーはない。翌朝、軽く喉を痛めるほど、夜はとても涼しく空調は不要だった。ただ網戸がなく、馬鹿でかいカミキリムシが部屋を飛び回り大騒ぎになったりとちょいとした事件はあったわけだが。

8/14
5時起床。朝食は辞し、6時過ぎのバスで高野山駅へ。始発のケーブルカーへと乗り継ぎ、9月の台風で甚大な被害をこうむった、田辺市は滝尻王子へと向かう。
この日は、熊野古道中辺路ルートのあまりのきつさに、もうやめよう、わざと転んで足でも折ってこの旅は終わりにしようと、そこまで思いつめるほど、過酷な山道に途中絶望するのであった。


続くかどうかはわからない。