チャイルド44 35.36冊目

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

 
チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

 今年のワンダーフェスティバル夏にて、世界の殺人鬼シリーズとかなんとか銘打たれたフィギュアが展示されており、その第二弾がお肉屋さんこと「エド・ゲイン」思わず立ち止まり、写真撮影をお願いすると快く許可してくれた。「他にもエド・ゲイン作ってる人いるらしいんですよ偶然にも」「へー、珍しいですね。エド・ゲイン好きなんですよー。後チャールズ・マンソンとかも好きです」「あ、次回作の予定はチャールズ・マンソンですよ」などという会話を思い出しつつ「チャイルド44/トム・ロブ・スミス」を読了。
 ソ連の大量殺人事件「チカチーロ事件」をモデルに、舞台をスターリン治下の1950年代に設定。国家保安省の捜査官<レオ・デミドフ>を主人公に、物語は展開する。
 <レオ・デミドフ>は無実のスパイを逮捕したり、子供が不振な死を遂げ「これは殺人事件だ!息子はころされた!」という同僚の家へ向かい「殺人事件じゃないよこのすばらしい共産主義体制では犯罪は起こらないから殺人事件なんてあってはならないのは君もよく知ってるだろ?だからこれは事故なの。騒ぎ立てるのはやめなさい。じゃないと死ぬよ?Did you understand?」と説き伏せにいったりして大活躍。出世街道を順風満帆に進んでいたら、部下の姦計にあい、なんやかんやで妻もろとも田舎に左遷された。その左遷先で一人の少女の遺体が発見される。その遺体は自らが「事故」として処理した少年の遺体に酷似していた。存在してはならない連続殺人事件。それを捜査することは国家への反逆にもなる。しかし<レオ・デミドフ>は今度は自らが信じるものの為に独自に捜査を開始する。という内容。
 上下巻分冊の割にはあっさりしている。途中、主人公と妻との関係、主人公と両親の関係、主人公の過去、妻の過去、さらには主人公と犯人の関係なんかも挿入されるのだがなぜだか薄い印象しか残らない。物語に二度ほど登場するスケベ医者も、キャラとしては好きだけど存在意義がわからん。文章があっさりとして、よく言えば落ち着いて洗練された筆致のせいかもしれない。
 あとはなんつーか、ジョークがない!海外小説なのにジョークのひとつもないじゃないか!「そんなことをすると、ケツの穴が一つ増えることになるぞ」「そりゃいい。痔に悩まされずにクソがひり出せるなら、穴のひとつやふたつ増えるのは大歓迎だ」みたいな、面白い面白くないはこの際いいんだ。例えだから。イギリス人ってジョーク言わないの?俺の偏見?っていうか上の例えはジョークっていうのか?わからなくなってきた。
 (ジョークもなく)暗い作風なのだけれど、必要以上暗くはなく、とてもあっさりした筆致で、簡単に多くの人間が死んでいく。「そこがこのスターリン時代の恐ろしいところなのか!なるほど!」と解釈できなくもないが、作者が意図して描写したのかは疑問。
 唯一筆が乗っていたのが、犯人が被害者を殺している場面の描写。連続殺人鬼の狂気が非常によく現れていて「いやー狂ってる!実に狂っているなっぁ!」と手を叩いて喜びたくなった。なんか欲求不満なのか俺。